怒りの女デモ


「怒りの女デモ」さんというアカウント主催で横浜でデモがあった。東京医大で女子の入試の点数を下げる不正な採点がニュースになった頃に立ち上がったアカウントで、既に横浜、川崎で抗議スタンディングをやっているのは見ていて、アクション起こせるのはすごいなって思っていたけど、スタンディングは平日夜とかだったので、私は参加は出来てなかった。でも横浜デモは土曜11時からだったから、それなら行けるから行こうって思って。

私は大学に入った頃辺りからは、周り中男性で自分だけ女性という環境にいることが多かったけど、まああまり頭良くもなかったので、自分がマイノリティであるとかいう自覚は全然なく過ごしていて。目の前で「女って〇〇だよねー」とかネガティブなことを言われても、今は別に私のことを言ってるわけではないし、と切り離しながらやり過ごしたり、私はそう言われるようにはならない、と自分の振舞いを制限したりしていたんだけど、twitter始めて、いろいろな考え方を見ている中で、「女」に対してネガティブなことを言われるのは、周りの、女ではない人にとってはともかく、私にとっては侮辱なんだから怒っていいんだということにようやっと気が付いて。

そんな風に、周りの人は全然気にしていないし、世の中的にも見聞きすることだから、自分にとっては辛くてもやり過ごすという状況が生まれていることがマイノリティでいるということで差別なんだっていうことも、ようやく身をもって理解した感じ。外国人や障害者や被差別部落出身の人なんかも、こういう思いをしていたんだってようやくわかったので、反差別の立場を取るようになった。

あとそんな風に男社会の中で暮らしてきていて時間が経って、ものごとを決める場とかにも参加する機会が出来てきてみると(そうして辛うじてでも参加できる環境になってるのも先人が勝ち取ってきたもの)、その場にいる男性陣は、女性がこの場にいないのは女性自身がやりたがっていないからだとか能力が足りていないからだとか考えているということも目の当たりにしてきて。大学の頃も会社入ってからも、女だからって、同じ場に入るまでにどれだけ「あなたがここにいるのは相応しくないと思いませんか」的な排除の圧力をどうにかかわしたりやり過ごしたりしてきた上で私が今この場にいるのか、諸々の事情でかわしきれなかった人たちがどれだけこの場から排除されているのかということが、まるで見えていないんだ、見ないで決めていたんだ、って理解したのもあって。

そういえば私も全然表立って言ったことは無かったからな、言わないと無かったことになるんだな、というのも身をもってわかったので、何らかのアクションには積極的に参加していこうと思っているの。でも自分一人でやる勇気はないので、誰かの呼びかけに速やかに応じる辺りから始めようかと。労働者デモも何でも、「自分自身」が参加しないとならないんだっていうことはもうわかってるから。

というわけで「怒りの女デモ」さんのアカウントをフォローして、呼びかけがあったら参加する構えで見ていて、横浜デモがあるのを知ったので行くことにした。

横浜って電車で乗換1つで行けるのでそれなりに近いイメージでいたんだけど、思っていたより時間かかって、出発時間を15分も過ぎてからようやく着いた。大規模な集会のデモだと列がはけるのに15分では足りないぐらいだけど、そこまでの人数ではないと、15分も過ぎると致命的に誰もいない状況で。まあ発表されているデモコースを見て追いつくしかないなって思って、バスで追い越してしまえばいいかって周回バスに乗ってみたら、いきなり逆方向に回るバスだった...。でも3つ目のバス停でデモコース終点の赤レンガ倉庫に着くって書いてあったので、そこで降りればいいかと。降りてみて、スマホでマップとコースを照らし合わせて歩いているうちにスピーカーの声が聞こえてきたので合流できた。

列の最後尾に付くつもりだったけど、黙って見送り続ける我慢が足りなくて、結構前の方のうちに入り込んでしまった。前の方はカメラマン的な人が写真を熱心に撮っていたので、やっぱり最後尾に行けばよかったかなとは思った。自分が写真に写るのは嫌い。自分の脳内イメージより残念な姿を見ることになるから...。

今までのデモに参加するときは、誰かがネットプリントにアップしたプラカードを印刷して持って行っていたけど、女性差別向けのちょうどいいのは無かったので、今回はプラカも自作した。自分の言葉を表に出すのもやっていかないとならないし。

スマホで文字入れアプリを見つけたので、過去に撮った写真の上に文字入れ加工。意外と簡単ね。それをネットプリント。わりと気に入った出来だけど、それと写真が出て自分画像と紐づくのがイヤなので、今回はプラカはUPしないけど。次回があったらその時には事前に上げる。でも印刷するとき白いフチが出てしまっていて、それは何とかしたいんだけど。やり方わからない。

近くを歩いていた方にいろいろ話しかけてもらった。「新日本婦人の会」というところから来られているということで、会の名前は聞いたことあるような無いような、とか思っていたけど、平塚らいてうが立ち上げたのよね、という話で、そんな有名どころなんだ、って思った。今調べたら1962年設立だった。平塚らいてうって大正時代の人ぐらいのイメージだったけど、亡くなったのは1971年で、私が生まれた年だったわ。今知った。戦争とかも渦中で体験していた世代の人だったのね。

話している中で、私って自分が受けた差別については全然棚卸できていないなっていうのに気が付いた。屈辱的な思い出って、やり過ごしてばかりいて、改めて整理して口に出せるように全然なってなかったなって。なので、こういう場で、私にはこういうことがあった、って全然話せないのがわかった。理屈としては整理して自分の中で理解したつもりでいたけど、自分自身の体験として語るということが出来るようになる必要があるね。辛いな。

自分がわかったことって、人に伝えるまでにどこまでのバックグラウンドの知識を共有されているものとみなすか、そのあたりの見極めが面倒で、結論だけ共有できればいいやって思ってしまうんだけど、こういう場で体験をシェアして解決を図っていこうとするのだったら、自分のことも、段階を踏んでわかりやすく外に出すってことも、やっていかないとならないんだってわかった。

漫画家の田房永子さんが、世の中のA面B面という表現で、公的な表向きの活動(A面:ほぼ男性に割付られがち)と私的な表に出ない活動(B面:ほぼ女性に割付られがち)と分類して、それまでずっとA面の中で暮らしていたけど、子供が生まれてB面に入ることになった、という話をしているのを以前web記事で読んだ。


それは私もまるっきり同じだなって思っていたところなんだけど、こういう「婦人の会」的なものがA面の中でどれだけどうでもいい扱いをされているか、何なら揶揄嘲笑の対象になっているかということも体験として知っていて、そっちに入り込む勇気というのがなかなか出なかったんだけど、でも目指すところはそうしてABきっちり分けた世の中ではなく、人の生活に関わるものは序列をつけずに全てを大事にしていく世界なんだから、参加できるところはいろいろ参加していきたいなって思った。

何も見えていなくて一方的に決めることが許されてきた側が決めてきた序列の中で下に置かれることを忌避していてはいけない、そんな序列に従う方が間違ってる、って精神でやっていかなくてはならない。すぐに何もかもは出来ないけど、出来るところからはやってく。

まあそういう思いがあったところで、実際のところ配偶者からの賛同すら得られない程度なので、私がいくら参加したところで広がりはないんだけど、それでも元々100人の参加者を自分が入って101人にすることは出来るので、そこからやっていこうかなって。出来る人は一緒にやろう♪

解散後はワールドポーターズに寄ってパンケーキカフェに行ってみた。


おいしかった!