ズートピア


ズートピア見てきた。とても評判が良いので、見たい気持ちが日々高まっていて。面白かった〜♪差別をなくそうとか、マイノリティを勇気づけるメッセージが込められているみたいな評価をよく読んだけど、私はアナ雪とかは、そういう観点からは全く読みとれていなかったので、ズートピアのメッセージって読みとれるのかな〜、と思っていたけど、普通に台詞でもメッセージ盛りまくっていたので、だいたいわかった気がする。

草食動物と肉食動物は、今や共存できるようになったのです!という導入は、いきなりそこからなんだー、って思った。捕って食うことをサラリと野蛮な悪と位置付けて、そういうスタンスでほんとに差別解消とかに持っていけるの?って少し心配になりながら見ていたけど、そこからすぐの列車に乗っての上京のシーンが素敵すぎて、気持ちはそっちに流れる。今やCGって、実写より情報多いんじゃない?って思う。

ジュディを心配する両親の図は、地方の子が東京に出るのと全く同じ感じで、アメリカでも、ニューヨークに行く、みたいな子の周辺ではこうなのかなーと思った。ペラペラの壁の部屋で一人暮らしとか、学生時代を思い出して懐かしい。

場面はたくさん動いて、これで終わりかと思ったらもうひと山あるみたいな感じで、全く飽きずに108分経った。失敗してもリカバリ出来るよ!傷つけてしまった相手にも向かい合っていこうよ!というのは子供向きメッセージとして有難いね。親からはなかなか伝えきれないしね。

ただ、人種的多様性みたいな方向での差別については、無くしていこうという強いメッセージ感があったけど、仕事の序列(派手な仕事>>>>地味な仕事)みたいな感覚は普通に持ち込まれていて、それ残したまま、お互い認め合っていこう、ってロジックがつながらなくない?とか思った。

ジュディは派手な仕事で活躍したい気持ちが強くて、そのために体も鍛えて努力もしたので、そういう子が、見た目の印象によって望まない仕事を割り振られるって、学生時代しっかり勉強して資格とか取って就職した会社でお茶汲みやらされる日本のOLあるあるだから、そんな環境の中で、やりたい仕事が出来るチャンスを掴んで成功するというのは、勿論サクセスストーリーとしてすごく楽しめるんだけど。それぞれを尊重しようという文脈に落とすのだったら、派手ではない仕事でも必要であること、パワハラも正されなくてはならないことも表わさないと片手落ちに思うよね。警察署の様子は、あのフロスト警部のデントン警察署の状況そっくりで面白かったけど。

あとジェンダー的多様感はむしろ物足りないぐらい。大きくて強い動物はたいてい雄キャラクターだったし。どれもすごくかっこ良かったけど!警察には、大きい動物系の女性警官もいてほしかったわ。その中でジュディが小さい体を活かして活躍すると嬉しかった。男性2人暮らしは出てきたけど女性版は無かった気もするし。まあいろいろ盛るとコントロールが難しいからねー、とも思うけど。

ニックは私にとっては印象薄いな。こういう面倒くさいチョイ悪には全く関心を持てない。といっても個体には興味を持てなくても、関係はすごくイイとは思うよ。この距離感での関係をずっと見続けていたい気持ちある。私は中年の女性労働者なので、羊の副市長が最も共感できた。ジュディのような、不確かでキラキラした未来いっぱいの若者の向う見ずな行動ではなく、積み上げてきた実務能力と長年ナメた扱いを受けることによる鬱屈と自分なりの未来デザインに基づいた行動の方が、わかるわー、と思わずにいられない。まあ未来ある子供たちは、ジュディの真直ぐな輝きとニックの生きるために身につけた如才ないかっこ良さをそれぞれ吸収してくれるといいなと思う。

あとニックがインタビュー用マメ知識として言っていた、漠然とした質問には勝手にこっち側で定義を作ってそれに答えろというのは、仕事でもとても役に立つので、子供はそれも吸収しておいてほしい。

アナ雪の感想Blogで、ディズニーは個々人の主観的な自由にはほとんど関心が無くて、社会に還元されない能力の価値を認めていないという考察(理想宮か、公共彫刻か?〜『アナと雪の女王』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus)を読んだけど、このズートピアでも、優先されるのはあくまでも公共の利益に資するもので、シティナイズされた状態が善、野生むき出しは悪もしくは大いに望ましくない状態として描写する辺り、確かにそうなのかも、と思った。私もそういう人工的な状態が好きなので、嗜好としては一致するんだけど、それでいいのかなって。

最後のコンサートホールのシーン良かった。こういう高揚感ある場面が大好き。トラのバックダンサーかっこいい。

最初に流れた予告で「ルドルフとイッパイアッテナ」も動物がイキイキ動いてる風で、これもズートピアみたいなのかしら?と思ったけど、登場する猫が写真を見て「うわー可愛い子!」「それ男だよ」「ゲー!」というやりとりの1カットで、あーこれは和製コンテンツね、とわかるようになった。ホモフォビアという概念だそうで、男が可愛いのはおかしい、女は品評されるもの、男は男に対して性的に関心を持つものではない、そういう局面はギャグにしていいといった山盛りの抑圧を含んだ価値観を子供たちに吹き込んで、誰もを傷つけることになるから、ディズニーとかはもうやらないみたいで。和製コンテンツもそうなっていくといいな。