江戸東京たてもの園
江戸東京たてもの園は、文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示する野外博物館です。
http://tatemonoen.jp/
twitterで、ここがイイと言ってた人を見かけたので行ってみた。
区内でなければ空いてるかな〜、と思っていたんだけど、わりと人は多かった。
多かったと言っても混雑しているといったレベルでもないけど、青梅の鉄道公園や三鷹の国立天文台並みの閑散を期待していたので、多いなと思った。
もっと混んでいる時は、各建物に入館制限がかかることもあるみたい。今日はそれはなかった。各建物に1-2世帯の閲覧者が入ってるといったぐらい。
高橋是清邸はすごく広かった。作りとかは親戚の家を思い出す。昔の日本は今みたいに情報化されていないのに、どうして中央と地方で同じような作りの家が出来ていたのかしら。
大正〜昭和初期の商店街も面白い。ほんの100年ぐらいで全然違うと思うと、未来が楽しみになってくる。
いろいろな昔の家にそれぞれ入りこんでみて、それぞれの作りを見てみたけど、今の目で見て素敵に思えるのは全部屋が洋室の「大川邸」ぐらい。他は、今の方がいいなと思った。
昔のこのレベルの家は、たぶん3世帯ぐらいの大人数で住むのが前提な感じで、なおかつ家父長制に乗っていて、書斎や応接間は立派に作られているけど、北側の台所や女中部屋は快適さはあまり考慮されてない。家の作りからもその窮屈な空気がよく見える。「大川邸」はその辺りの嫌な古さが無くてよかった。
田園調布の家(大川邸)は、大正14(1925)に現在の東京都大田区田園調布に
建てられた住宅です。田園調布というと、現在は超高級住宅街ですが、開発当初は中堅層の
サラリーマン向けに分譲された土地でした。なので、このような一見すると質素な邸宅が数多く建てられたようです。
鉄道省の土木技師であった大川栄氏が建造したもので、創建当時は
夫婦と子供2人、お手伝いさんの合計5人が住んでいました。
http://sumai01.hatenablog.com/entry/2014/02/20/150213
こちらが詳しい。リーマン向けだから、いいなと感じたのかしら。
でも住み込みのお手伝いさんはいたのね。
昔、三鷹の「星と森と絵本の家」に行った時も思ったけど、昔の家は大人数で住むことで、広くて豊かな感じになってる。核家族になることで、自由は得たけど貧乏にもなった。分散する方が生活に要するコストもかかるし、核家族として分離独立したら、これまでに家が蓄積してきた文化資本なしで開始しないとならないから、知識、文化、歴史といった辺りの見えない豊かさも散逸するよね。でも昔だったら住み込みお手伝いさんとして生活する系の人たちも核家族として一つの家に住むようになって、中流化したということなのかな。
今また格差が開いてシェアハウスとかが流行ったりしていて、子供世代になったら、どんな作りの家が標準になっているのかな、と思った。