雨に唄えば

久しぶりに午前10時の映画祭。有名だけど見たことなかったわ。

この前見たALL THAT JAZZは映画の中で舞台、だったけど、今回のは映画の中で映画。これこそMeToo以前のハリウッドね。女の人のオーナメント扱いがすごい。でも面白かった。

アメリカの舞台文化と映画文化にどういう歴史があるのかは詳しくないけど、主人公の映画俳優は無名のコミカル舞台俳優から映画のスタントマンを経て映画スターになった人という設定で、すぐ下積み時代からのパートナーと一緒に舞台風に踊り出す。スターの威厳たっぷりもコミカルも両方こなせるのすごい。

スターにならなかった方のパートナーも常に良い相棒という立ち位置で、見ていて安心できる。悪い役は大女優さんに全部乗せられた感じもあるけど。でも女優さんも意思が強く立ち回って、悪役なりに良い感じだったわ。チャンスを掴むヒロインもまあ良かったし。

展開はラブロマンス全開で、こんなテンプレな展開そのままなの?って思うけど、むしろこっちが元祖くらいなのよねきっと。こうしてみるとズートピアなんて随分ストーリーをひねっているわ。

序盤でスターとしてインタビューを受けて、「ずっと威厳を持ってやってきました」と演説しながら、画面にはコミカルな下積み時代が映される辺りで既に、虚構の作られた世界というのを強く意識させられる。でも、実際に自分がこの映画を見たのは初めてだけど、ここで表向きに描写されているようなハリウッド映画スターの世界について、どれだけ多くのことを、こういうものだって思わされてきたかなと思うと、コンテンツが現実界に与える影響って半端ない。

あと道を歩くとファンに取り囲まれるくらいの大スターでも、常時写真週刊誌の記者が見張っているという感じでもなくて、こういう時代はカリスマも作りやすかったんだろうなという感じ。

無声映画からトーキーに移行する時代というので、かなり昔を舞台にした話だったのね、ってわかった。当然登場人物が出演してるのは白黒映画。そういう時代の話をカラーの音声付き映画で見ているけど、CG化の波なんかはこの映画が撮られた時点でもまだ存在しないので、今この時代に見ていると、どこまでを懐古として描いていて、どこまでがこの当時の標準で、どの辺が当時としては斬新だったのか、結構わからなくなってくる。

雨の中で歌う有名なシーンや歌を見て、これがあの有名な、って思うけど、この映画より前には存在していなかった描写なのよね。どういう土壌があって出来上がったのか、その時は何を見せたかったのか、いろいろ知りたいなと思った。

画面で見る限り、日本とは全然違う世界が積み上げられているけど、こういう映画の描写の断片は確かに私の住む世界にも影響を与えていて、今もそういう変化の流れの渦中にいるのねというのが、実感としてわかって面白かった。

日本がこれだけエンタメやショービジネスに金をかけれる日は来るのかな。なんかレベルが違いすぎると思った。

今回、映画のこと検索して初めて、ジーン・ケリーが男の人で、デビー・レイノルズが女の人だと知った。逆だと思っていたわ。